今月のお話


 6月15日は弘法大師の誕生日で、この日に誕生日のお祝いをします。
「お釈迦さま」の誕生日を「花まつり」と呼ぶように、青葉の季節にちなんで「青葉まつりとも呼んだり、お大師さまが「いろは歌」をお作りになったということから「いろは祭り」とも呼ばれています。
 このようなお祝いの時、お大師さまの子供時代のお姿である「稚児大師」像がまつられます。
 私たちがおまいりする弘法大師のお姿には、このほかいくつかの種類があります。全国を行脚されているお姿の修行大師、赤ん坊を抱かれた子安大師などです。圧倒的に多いのは、右手に五鈷、左手に数珠を持って椅子の上にお座りになっているお姿で、これが最も代表的な弘法大師のお姿としてよく知られています。
 このお姿は十大弟子の1人である真如親王がお描きになり、それに大師ご自身が点眼されたもので、このお姿は今も高野山の御影堂におまつりされています。私たちが平素親しんでいるお姿はその写しなのです。
 このお姿の中で、お大師さまが持っておられる五鈷は仏さまの知恵のお徳をあらわしています。お大師さまは、どんなときにも私たちに知恵の光を掲げて、私たちの悩みや迷いを照らして勇気づけ下さるのです。
 また、お大師さまがお持ちになっている数珠は仏さまの慈悲の心をあらわしています。お大師さまが私たちの苦しみを救い楽を与えてくださることを意味しています。 
 私たちが心からお大師さまに帰依し、一心に拝めば、それはそのまま一切の仏菩薩を拝むことにもなり、広大なご利益をいただけるのです。




 「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」
毎年この時期が一番すばらしい季節だと思います。
万葉集にも「御民われ 生けるしるしあり 天地の 栄ゆるときに あえらく思えば」
という歌があります。この歌も新緑の季節における万葉人の感想を詠んだものと思われます。 
 万葉の時代は、衣食住ともに今と比べて貧しかった筈なのに「生けるしるしあり」とは、つまり「生きがいがある」と言って、幸せを感じているのです。
現代は物質的に豊かな生活をしているのに「満たされない心」を認めずにはいられなかったのです。
 物のなかった時代の万葉人の心は満たされていたのに、物の有り余る現代人の心は満たされていないと言うことになります。
心を満たすには、物を持ってはいけないのでしょうか?
 それは自分のまわりを見回すとき、どういう色の眼鏡をかけるかという問題なのです。赤い眼鏡をかければまわりが赤く見えます。同様に「幸せの眼鏡」があって、その眼鏡を通して世の中を見れば、まわりは「しあわせ」で一杯に見えるでしょう。要は、自分の心がけ次第だということです。
 昔の万葉人は物がなかっただけに、自然の恩恵を直に感じていたのでしょう。そして、「足るを知る」ということを感謝の日暮らしの中で、どんなことにも「生けるしるし」を覚えていたに違いありません。
現代の私たちも、この心を呼び戻さなければならないと思います。この「知足の眼鏡」「しあわせ眼鏡」をかけて見回せば現代は「生けるしるし」に満ち溢れているに違いありません。




 仏教とは、一口で言えば「仏法僧という三宝の教え」つまり3つの宝の教え、だと言われることがあります。聖徳太子は「篤く三宝を敬え」と説かれましたが、それは仏法僧の三宝、つまり、仏教の教えを敬え、という意味なのです。
 仏法僧の「仏」とは、お釈迦様の事でもあり、仏さまのことでもあって、要するに真理を悟り、真理を説くものであるということです。
 仏法僧の「法」とは、法律の法と言う字を書きますが、真理という意味です。それは仏さまによって悟られた真理、つまり、仏さまがお説きになる真理そのもののことです。
 仏法僧の「僧」は僧侶の僧という字を書きますが、必ずしもお坊さんのことだけではありません。仏様の教えに従い、仏様がお説きになる真理を学ぶ人たちのことです。
 仏法僧の3つに共通するものは真理ということで、仏教は真理の教えなのです。
真理とは、いつ、どこで、誰が聞いても、皆がなるほど、と認める事柄です。
 お釈迦様が悟りを開かれたというのは、誰もが認める、極めてあたりまえの事柄に気づかれたということです。それは何かと言うと、それは「縁起」ということです。
物事には必ず原因があり、その原因に縁、つまり何らかの条件が加わって結果が出てくるという事です。これが縁起の真理ですから、だれでも認めるはずです。こういう当然の真理であればこそ、永遠に変わりなく行き続けて行けるのです。こういう平凡な真理から仏教は出発したのです。




 弘法大師はたくさんの書物をお書きになりましたが、その中で「葉の落ちた木は必ずしも枯れ木ではない。春になれば芽をふく。人だって同じだ。」ということを言っておられます。
 さらに続けて「人というものは、いろいろな可能性を内に秘めているものだから、見かけだけで判断してはならない。」ということを述べておられます。
 これを我が身にあてはめれば、自分だっていろいろな可能性を持っているのだから、仮に今が不幸不運だと思えても、かならずしも悲観したりする必要はない、いつかは芽をふくこともあるのだから希望を失ってはならない、ということをおっしゃっておられるのです。
 弘法大師は私たちに、この人生に希望を失ってはならない、その希望が適えられるまで、じっと我慢して待つことの必要を教えてくださっているのです。
 三月は春のお彼岸です。お彼岸は、仏道実践週間です。
お彼岸にあたって私たちが実践すべき努力目標が6つあります。
 その三番目にあるのが「忍辱(にんにく)」という目標です。普通に言えば「忍耐」のことです。「忍耐」とは「腹を立てないこと」「じっと我慢すること」です。これをお彼岸の期間中の努力目標にしようということですが、そこには「焦らないでじっと待つ」という意味も含まれているのです。
 お彼岸の季節にあたって樹木の芽生えを見ながら「忍辱」の心を学びたいものだと思います。




 江戸時代に人生を達観した人格者として評判の高い瓢水という俳人がおりました。
 ある日、その評判を聞いて一人の雲水が瓢水を訪ねてきました。
折り悪く瓢水は出かけるところだったので、「すぐ戻ってきますから、しばらくお待ちください。」と言い残し出かけて行きました。
しばらく待っていた雲水は何気なく「先生はどちらへお出かけになったのですか」と尋ねたところ「風邪をひかれたので、お医者さんへお薬をもらいに行かれたのです。」と留守番の人が答えました。
 雲水は「瓢水はいつ死んでも命の惜しくない、腹の据わった人物だと聞いてきたのに、風邪をひいたくらいで医者に薬をもらいに行くような情けない奴とは思わなかった。」と怒って帰って行きました。
 戻ってきた瓢水は、その話を聞くと、短冊に俳句を書いて雲水に渡してくるように頼みました。
村のはずれで短冊を受け取った雲水は、顔色を変えて瓢水の家に戻ってきて、心から無礼を詫び、人生について教えを受けました。
その短冊には
          「浜までは海女も蓑着る時雨かな」
という俳句が書かれていました。
 瓢水は海女の生態を通じ人生のありようを教えているのです。
人間の寿命には限りがあります。私たちは寿命が尽きて、お迎えが来るまで、できるだけ体をいとわなければなりません。
病気になればお医者にかかり、薬を飲んで、少しでも一回きりの人生を長持ちさせなければなりません。
 それが「諸行無常」というお釈迦様の教えに従う道です。
瓢水のこの俳句はそのように生きるべきことを私たちに教えてくれているのです。



 90歳近くになってもはつらつとしておられるある企業の経営者の方から長生きのコツについて次のような話をお聞きました。
 第一は勉強することです。
人間は一生勉強を続けなければいけません。自分の仕事のことだけを夢中になって勉強しなさいということではありません。趣味を含め、あらゆる勉強をすることです。勉強は人間を幅広く、奥深くするものです。
 第二は仕事をしていることです。
いくつになっても人間は働くために生きているのです。
働くと、自分のためだけでなく「はたが楽」になる、これが働くということです。
人のためにと思って働いていると何事も成功するものなのです。
 第三には何歳になっても洒落っ気を忘れてはいけないということです。
これは清潔感にもつながり、その人の雰囲気をより良いものに作り上げてくれるものなのです。だから身なりは若いときより、気を使うべきなのです。
 おしゃれをするときには、それだけの小金をいつも持っていなければなりません。何でも高いものを買って身につけるのがおしゃれではありません。小金で充分間に合うものです。
 そのためには勉強することによって教養を身につけることです。
その教養が顔にも態度にも、服装にもにじみ出る、これが本当のおしゃれというものなのです。




 老いを知るとはどういうことでしょうか?それはまず、肉体的な衰えを知ると言うことです。
 女優の沢村貞子さんは「老いの楽しみ」という本の中で、こう書いておられます。
「老いるということは、なんとも悲しい。齢ごとに頬はこけ、眼はくぼみ、髪は白く薄くなるばかり。手馴れた家事をしようとしても、掃除機さえ思うように動かせず、煮物の鍋は重いし・・・雑巾を持ってヨタヨタと歩く自分の姿が鏡に映っていたりすると、ぞっとする。何をしても疲れが烈しく、物忘れはますますひどく・・・つい、愚痴にひとつも言いたくなる」と。
 諦めるということからも、老いを知ることです。「仕方がないでしょう・・・」そう、諦めれば、気が楽になります。
 また、沢村貞子さんは、次のように書いておられます。
 「大相撲で、千秋楽にやっと勝ち越した若い力士の言葉が耳に残った。
『今日は脚が前に出てくれましたから・・・』
 たしかに脚さんのお陰で勝てたにちがいない。長年動いてくれている私の身体さん、もうしばらくお願いします。・・・どうぞよろしく」と。
 自分のの身体をいたわり。もう少しがんばってとお願いすること、これが老いてゆく我が身と付き合うよい方法なのです。




 昔、ある免許皆伝の武芸者が武者修行に出かけました。
信州の山の中で峠越えをしようとした時、一本の丸木橋にさしかかりました。
丸木橋の下は、深い谷川で、激流が流れています。
武芸者は丸木橋に足をかけましたが、深い谷川に足がすくみ、とても渡れそうにありません。
 『免許皆伝のこのワシが、なんとも情けないことよ。』と思い、かたわらの石に腰を下ろし、思案にくれていました。
 すばらくすると、向こう側から、杖をついた按摩さんらしき人がやってきました。
この人は、丸木橋まで来ると、杖を背中にさし、丸木橋をかかえるようにして、するすると渡ってしまいました。
 この様子を見ていた武芸者は、目の見えない人が、何のおそれもなく渡り、免許皆伝の自分が、おそれて渡れなかった。自分の力を過信し、目があることによって、かえって恐怖を覚えたという事から、自分の流儀を、目のない道、「無眼流」と名づけたと言うことです。
 私たちは、とかく自分の立場にこだわりがちです。仏さまの教えは執着心、こだわりからはなれなさい、という教えです。
 それぞれの人が、自分の立場や考えにこだわっていては、一家の暮らしも穏やかになりません。
こだわりを捨てる、執着心を捨てるという事は、お互いを生かす道であり、争いのない暮らしの基本なのです。




 鑑真(がんじん)和上)が幾たびもの困難を乗り越えて日本に来られたのは、天平勝宝6年(西暦754年)のことでした。
鑑真和上が日本へ渡って仏教の真髄を伝えようと決心されたのは、栄叡と普照という二人の日本人留学僧がお願いしたからでした。
 その時、鑑真和上は、日本の長屋王の話をなさって、日本は仏教に熱心な国だと知っているから、その熱意に応えるためにも自分が日本へ行ってやろうとおっしられたのです。
 長屋王は、天武天皇の孫に当たられる方で、聖武天皇の時の左大臣を勤めながら無実の罪のため自殺されたというので、「悲劇の宰相」と呼ばれている方ですが、熱心な仏教信者でした。
 この長屋王がある時、千枚の袈裟を作って中国へ贈られましたが、その袈裟の縁には次のような漢詩が刺繍してありました。

        『山川異域なれども風月は同天なり。
           諸仏子に奇す。
          共に来縁を結ばむ。』

 山や川は日本と中国で地域が異なっているけれども、日本と中国でも同じ風が吹き、同じ一つの月が照っている。中国のお坊さん方にお願いします。どうぞ日本に来てご一緒にご縁を結びたいものです。
という意味です。
 鑑真和上は、このを覚えておられ、このことが日本に渡ってこられるきっかけに成ったのでした。
 国際交流の重要性が叫ばれている現代です。
この風月同天の心を大切にしたいものです。




 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、お彼岸の時期になりますと、朝夕の涼しさから、四季の移り変わりが感じられます。
 春分に日と秋分の日を春秋の彼岸として意味あるものとしているのは太陽が真東から昇り、真西に沈み、昼夜の長さが同じことから、それが中道を貴ぶ仏さまの教えと同じであるからと言うこともあります。
 また、自然界の状態が高度な調和を保っていることも、彼岸として意味ある時となっているのです。
 自然界と同じように、人間社会や個人も高度な調和がよき社会、よき個人をつくるということになるのです。
 人間も心身の秩序を乱しますと病気になったり、心がゆがみ、周囲にも溶け込めず、人間関係がギクシャクすることになります。
調和こそが人を幸せにします。自然が見せる調和の姿を学び、豊かな実りをもたらす自然に感謝したいものです。
 真言宗の教主である大日如来さまは、自然と対峙するのではなく、自然とともに生きなさいと教えておられます。
 人も自然界の一部で、生かされている存在という謙虚さを持ちたいものだと思います。




 「父に悲恩あり、母に悲恩あり、人のこの世に生まるるは、父母を縁とせり。
父にあらざれば、生ぜず、母にあらざれば、育せず、父母の恩の重きこと、天のきわまりなきがごとし。」と父母恩重経に説かれています。
今の私は、私が生きているのではなく、生かされて生きていると言うことです。
 この頃は、家庭における親子関係がしっくりしないと嘆く親が多いようです。
その原因は、仕事の多忙化とか、共稼ぎで一緒に食事をしたり、話し合ったりする時間が無いことです。
当然、子供の生活は放任となり、子供を愛して子供を叱る親はあっても、子供の生活の中でその欠点を見出し、これを面目なく思う親は少ないと言われています。
 親は自分の育った頃の苦しかった生活や、自分のなし得なかった思いを子供に託したい気持ちが、子供達へのおしつけとなり、また、子供は親に対する甘えたい気持ちが満たされず、その結果、ひずんだ親子の愛情となり、親子の断絶、家庭内暴力、家庭の不和、さらには他人へのいじめ、非行の原因となっていると思われます。
 一軒の家屋の要(かなめ)が大黒柱であるように、家庭における家族の要(かなめ)は父親であり、それを支えるのが母親なのです。
 その姿を見て子供は育ち、やがて家庭内に親と子の絆(きずな)が結ばれ、円満な道が開かれていくのです。



 
今年もお盆が近づいて参りました。
お盆にはご先祖様が帰ってくるとされています。
私たちはご先祖さまをお迎えするために、いろいろな準備をして、お帰りになる日を迎えます。
 それでは、ご先祖様は一体何をしに帰って来られるのでしょうか?
きっと、久しぶりに我が家の雰囲気を味わいに帰って来られることでしょう。
 ところが、その我が家では、どうしているのだろうかと、ご先祖さまが帰る前にあの世から眺めてみたら、親子喧嘩をしていたり、お嫁さんとお姑さんがもめていたらどうでしょう。
 きっと、ご先祖さまも帰りたく無くなってしまいますよね。
それでは、今年は帰るのをやめておこうということになっては困ります。
 ご先祖さまは何をしに仏さまの国に行かれたのでしょうか?
それは仏の道に精進して仏さまになるためです。
それでは何のために仏さまになるのでしょうか?
それは皆を幸せにするためです。
それなら我が家がどんな状態であっても帰って来なければなりません。
私たちはご先祖さまが安心して帰ってこられる家にしてしておくことが大切なのです。
 私たちは死んだら仏様の国に行き、仏の道に精進し、仏さまとなって、お盆には皆を幸せにするために帰ってくるのです。
 お盆には、ご先祖さまをお迎えしながら、私たちは何のために生まれてきたのか、どういう生き方をすればいいのかなどを考えてみたいものです。


(平成17年6月号)

 6月15日は、弘法大師のお誕生日です。
青葉まつりと名づけてお大師さまのお誕生日をお祝いします。
 お大師さまのご生涯のご事績やお大師さまがお説きになった教えの概略などについて「弘法大師和讃」に書いてあります。
 例えば、弘法大師和讃の中に
   「吾が日本(ひのもと)の人民(ひとぐさ)に
       文化の花を咲かせんと
   金口(こんく)の真説四句の偈を国字に作る短歌(みじかうた)」
という言葉があります・
 ここでは弘法大師が「いろは歌」をお作りになり、我が国の文化の上に数々の功績をお残しになったので、私たちが大変な御恩を受けているのだと、教えています。
 また、弘法大師和讃の別のところでは
   「真言宗旨の安心は 人みなすべて隔てなく 凡聖不二と定まれど
    煩悩(なやみ)も深き身のゆえに ひたすら大師の宝号を
    行住坐臥に唱うれば 加持の功力も顕らかに 仏の徳を現ずべし」
と書いてあります。
 明けても暮れても一生懸命に「南無大師遍照金剛」とお大師さまのご宝号を唱えていると、きっとお大師さまがお助けくださって、私たちを仏にならせて下さいます、と真言宗の基本的な信心について説明しています。
 弘法大師和讃はこのような内容なのです。
機会があるごとにお唱えくださると有難いと思います。




 有名な織田信長は、出陣の前夜に必ず
「人生50年、化天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬ者のあるべきか・・・」
と言う謡を謡い、舞を舞ったと言われています。
 これは室町時代に流行った幸若舞という芸能の中で、名曲として知られている「敦盛」という曲の一節です。
 この文句の中に出てくる「化天」とは正しくは「下天」と書いて「下の天」のことです。
仏教では天上の世界、つまり天界がいろいろあると考えていますが、その一番下の天界が「下天」です。
ここに住んでいる天人の寿命は500年しかありませんが、天界の一昼夜は人間世界の50年に相当するので、下天の天人の寿命は人間世界に時間に換算すると約900万年ということになります。
 この文章は「われわれの一生は短い。仮に一生が50年だとしても、それは下天の天人の一昼夜でしかない。人生は夢幻のごときものだ。人間はいずれ儚く死んでいくものだから、そのことをよく心得て、じたばたしないで静かな「悟り」の境地に入りたいものだ。」と言っているわけです。
 現代は長生きできるようになりまたが、下天の天人に比べれば、夢幻のような短さであることに変わりありません。
世の中の先行きがハッキリしないという点では、信長の時代と似ているとも言えるでしょう。
 私たちも時折は「人生50年」の名文句を思い出したいものです。



 4月8日は、お釈迦さまの誕生日で正式には、「釈尊誕生会」とか「釈尊降誕会」と呼ばれています。が、一般的には「花まつり」と呼ばれています。
多くのお寺では花御堂(はなみどう)にお釈迦さまの誕生仏をまつり、その誕生仏に甘茶をかけてお参りします。
 花御堂というのは、小さなお堂ですが、屋根にはいろいろな花を美しく飾るので、花御堂というのです。
花御堂の御(ミ)という字を、「ゴ」と読むか「オ」と読むかは読み方の違いだけで、要するに花のお堂ということです。
 お堂の事を「ミドウ」と呼ぶことは必ずしも珍しいことではありません。
「御」の字を「オ」と読むより「ミ」と読み方が丁寧だという感じがするからかもしれません。
 有名な藤原道長は御堂関白と呼ばれていました。
道長は法成寺という寺を建て、そのお堂に住んでいたので、ミドウの関白と呼ばれたのです。
大阪には御堂筋という地名がありますが、それは「北の御堂」と「南の御堂」という本願寺の別院のお堂がそおの通りに建っているからです。
 近頃では花御堂を白い像の上に飾ってお参りする場合も多くなりました。
インドでは昔から白像は神聖な動物とされていたからです。
 花まつりには、花御堂にお参りしてお釈迦さまのことを思い出していただきたいものです。



 お彼岸の月を迎えました。お彼岸は春と秋と2回あります。
秋のお彼岸はこれから冬に向かうと言う、なんとなくさびしい感じがあります。
春のお彼岸は、これから春を迎えるいう、希望に満ちた明るさがあります。
  「きょう彼岸菩提の種を蒔く日かな」
という句も春のお彼岸方がピッタリという気がします。
  「葉の落ちた木は必ずしも枯れた木ではない。やがて春がくれば芽をふく。」
というお大師さまのお言葉があります。
お大師さまのこの言葉は私達にも、時が来れば仏になれる可能性、つまり仏性(ぶっしょう)が潜んでいるのだから、希望を捨ててはならないと励まして下さっているのですが、春のお彼岸にこの言葉聞くと、なお一層身にしみて感じられます。
 有名な般若心経というお経の題名の中にも彼岸という意味の言葉が使われています。「波羅蜜多」と言うのがそれで「彼岸に到る」という意味です。
この彼岸とは「仏の世界」「理想の世界」のことです。
般若心経は、私たちが苦しみのない世界である「彼岸」に行くためには「空」を悟ることが肝心だと述べて、その「空」とは何か、ということを説明しているのです。
 「空」の説明はとても難しいのですが、簡単に言えば、「こだわるな」ということです。
「こだわり」を捨てると言うことは、なかなか実行は難しいことですが、お彼岸には、般若心経の教えに従って「こだわり」をすてる努力を心がけたいものだと思います。




 2月15日はお釈迦さまの涅槃の日。お釈迦さまがお亡くなりになった命日です。
お釈迦さでさえ寿命がくれば死ななければならないものであること、つまり「生者必滅」の真理をお釈迦さまは身をもって私たちに示して下さったのです。
 松尾芭蕉は臨終の床で

     昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、
        われ生涯に言い捨てし句々一つとして辞世にあらざるはなし。

という言葉を残しました。
 芭蕉は一つ一つの俳句を、いつ死んでも良いというつもりで作った、悔いなき人生を送ったという事です。
私たちも芭蕉を見習いたいものです。
 私たちは凡人ですから、なかなか芭蕉のまねはできないかも知れません。
だからと言って諦めてしまってはいけません。
 「方便を究竟となす」という理想が実現できるに越した事はないが、理想に向かって努力すること自体が貴いのだという意味です。
 私たちは、凡人であるが故に時として怠けたくなることもあるし、努力を忘れることもあるかもしれません。
 しかし、私たちはせめて涅槃の日やその他の機会があるごとに、悔いなき人生を送るための決意を新たにしたいものです。





 幼児言葉、つまり幼い子供の言葉で「仏さま」や「神さま」の事を「ののさま」や「のんのんさま」と言います。 
 「ののさま」とか「のんのんさま」という言葉は今はあまり使われなくなってしまいましたが、昔からこういう言葉があった事は事実です。
 昔の子供たちのまわりには、身近に仏壇があったり、親にお寺参りなどに連れて行ってもらう機会も多く、親も子供にこの言葉を教える機会が多かったのです。
 つまり、昔の親は子供たちに物心つかないうちから神仏の存在を教えることで、先祖のおかげや、世の中には目には見えなくとも人間の力以上の偉大な存在があることを教えていたのだと思います。
 今は核家族化が進んで、仏壇のない家やお参りしない若夫婦が増えました。
そういう家庭で生まれた子供が「ののさま」とか「のんのんさま」という言葉を知らず、その無形の偉大な存在を知らないのも当然だと言えるでしょう。
 真言宗の宗祖弘法大師に「同行二人(どうぎょうににん)」の信仰があります。
それは、お大師さまという「のんのんさま」は、目に見えなくてもいつも私たちの側にいて私たちを見守っていて下さるという信仰です。
この信仰は私たちに「私たちは自分ひとりで生きているのではない。もろもろの力に支えられている」という事実を気づかせてくれるのです。
 幼い子供たちが「のんのんさま」という言葉を覚えて、知らず知らずのうちにそういう宗教的な世界になじんで欲しいと思います。






 12月8日は、お釈迦さまが悟りを開かれた日です。
悟りを開かれたというのは、すなわち、お釈迦さまが真理を発見された、と言うことです。
 発見とは今までにもあったものを見つけたと言うことです。
つまり、お釈迦さまは長いご修行と瞑想の末に、誰もが当たり前だと思う真理を見つけ出されたと言うことです。
それは例えばニュートンが万有引力の法則を発見したのと同じです。
引力は昔からありましたし、当然ですが今でもあります。
ニュートンはそれまで誰も気が付かなかった引力の法則に気が付いただけです。
お釈迦さまの場合もそれと同じことです。
 お釈迦さまが発見された真理はたくさんありましたが、例えば四苦八苦で有名な四苦の真理もその一つです。
 人間は誰でも生まれからには、いつか病気になり、年をとり、必ず死ぬという苦しみを逃れることは出来ません。
 生老病死の四つの苦しみは人間に付物だということにお釈迦さまがお気づきになった、これを苦諦と言います。
諦とはアキラメという字を書きますが、真理という意味です。
つまり苦諦とは、人間には苦しみが付き物だという真理です。
 真理とは、誰が聞いてもそうだと認める事柄、つまり普遍妥当性を持つ事柄が真理です。
また、真理とは誰が考えてもそう考えざるを得ない事柄、つまり、思惟必然性を持つ事柄が真理です。
 仏教とは、煎じ詰めれば真理を尊ぶ教えですから、仏教は真理の教えだと言うことになります。





 あなたは仏さまを拝むとき、手をどのようにされるでしょうか?
両手の指を伸ばして掌を胸のあたりで合わせると思います。
 これを合掌といいますが、起源をたどるとインドの礼法になります。
仏教によって日本へ伝えられた外国の礼法ですが、深く日本に根づき、仏さまを拝む時ばかりでなく、人間同士の間にも行なわれます。
 特別に感謝をする時や、特別にお願いをする時に合掌という動作がでてきます。
合掌は真心を表現する姿と言えましょう。
 合掌は、日本の礼法とも言うべき低頭と組み合わされ、古来「合掌低頭が一番丁寧な礼法」として通用していきます。
さらに今では西洋式の礼法である握手が広まり、状況に応じてそれぞれに使い分けされているようです。
 とにかく礼法は、社会の秩序を保ち、人間相互の交際を円滑にするため、人の守るべき所作でありますし、どんな所作で礼をするかは、その人の心をそのまま表します。
常にサッと合掌の出来る人間になりたいものです。

           「右ほとけ、左われぞと 合わす手の
                     中ぞゆかしき 南無の一声」




 数珠は、お経を読む時の数取りの道具でした。
形式は少し違いますが、キリスト教やイスラム教でも数珠を使う事があるようです。
 仏教では長い歴の間に、いつしか数珠は大事な仏具の一つと考えられるようになりました。そして球の数は108と定められ、1つ1つの珠が108尊の仏さまとか108煩悩を表すようとも言われるようになりました。
 本式の数珠は、親玉や目印の珠は別にして108の珠があるのが普通です。
これを本連と言いますが、本連の半分の54の珠のものを半連と言います。
それ以下の簡単な手首に掛ける数珠などは略式のものですから、厳密な決まりはありません。
 数珠の珠には色々な材料がありますが、各人の好みで良いという事になっています。
もちろん、無理して高価な数珠を持つ必要は無いのですが、懐具合に応じてなるべく上等の数珠を持つとか、親の形見や何か記念の数珠を持つ事が良いと思います。
そういう数珠であれば粗末にしないで大事に持ち続ける事が出来るからです。
 そして何より大事な事は、数珠そのものを大事にする事で、自分が仏教徒として生きる決意をさらに固めることだと思います。